石碑が伝える鵠沼の歴史
- ygcat6
- 2023年8月5日
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更新日:3月15日
オーシャンプロムナード湘南(以下、ホーム)のナノス棟前に建立されている、一つの石碑。この石碑には、1923(大正12)年の関東大震災に起因した、一つの歴史が刻まれています。

大正時代、現在ホームがある場所には、実業家であり衆議院議員でもあった吉村鉄之助(1858~1937)の別荘がありました。吉村は実業界・政治界における有力者で、幅広い交流を持っていました。
1923(大正12)年夏、この別荘には、皇族で後の内閣総理大臣・東久邇宮稔彦王の妃と三人の王子が滞在しており、鵠沼の住民たちは道路整備をしたりもてなしの準備をしたりと、大変な騒ぎだったそうです。そして吉村夫妻は妃たちの接待のため、9月1日午前に別荘を訪れます。
接待を終えた吉村夫妻が別荘を出た数十分後の11時58分に関東大震災発生が発生し、建物は倒壊。第二王子である師正(もろまさ)王が建物の下敷きになり息を引き取りました。残念ながら助けることはできませんでしたが、鵠沼の住民たちはすぐに駆け付け、懸命な救助活動を行ったといいます。
自らをさて置いて救助に向かった鵠沼住民に対し、皇室から感謝やお礼金などがあったそうです。これもまた、鵠沼の歴史の一つといえるでしょう。
1925(大正14)年8月28日、吉村は「御遭難記念 東久邇宮稔彦王 第二王子師正王碑」を別荘地内に建立しました。石碑正面には、師正王の生年月日や鵠沼における滞在時期、震災で亡くなるまでが刻まれ、裏面には、吉村と彼の出身地である滋賀県坂本の石工の名前も確認できます。これは一度行方不明になったものの、鵠沼の住民により発見され、ナノス棟前に残されました。
現在、沿岸に位置するホーム一帯もイエローゾーンに指定されています。万一大地震が起き際にどう行動すべきか。また、ホームは津波避難ビルに指定されており、地域連携も見据えた行動と備えが必要です。上述の歴史を昔話で片付けるのではなく、今を生きる私たちにとっての教訓として、防災減災対策に取り組んでいきたいと思いを新たにしています。
今年3月に発行された、横浜都市発展記念館の無料館報「ハマ発ニュースレター」第38号に、「吉村鉄之助の関東大震災」という記事が掲載されました。この記事は吉村と関東大震災を大きく扱った内容で石碑に特化したものではありませんが、石碑写真も掲載されています(閲覧用pdfはこちら・横浜市発展記念館発行)。


さて、そのナノス棟エリアに最近いろいろと手が加えられ、ご入居者にとってより楽しく利用しやすい憩いの場になりました。
テラスに向かう遊歩道。改装前は味気ない石畳しかありませんでしたが、立派で安全な遊歩道に生まれ変わりました。

お庭もきれいになりました。アサガオの成長を見守るのも毎日の楽しみの一つ。

こちらは山野草エリア。素朴ながらも美しい山野草を眺めていると、心が落ち着くようです。
98歳になる女性ご入居者より「ヒトリシズカとフタリシズカがまた見てみたい」とのリクエストがあり、探したところ広島から送ってくださる方が見つかりました。やや確認しづらいですが、写真の左右の場所にそれぞれが植えられました。

黄色が印象的な、かわいらしいこのお花。長崎からきた姫ニッコウキスゲです。

ご入居者も楽しそうに眺めておられます。

ナノス棟玄関前の白い像も塗り直され、美しさがよみがえりました。

以上、駆け足でご紹介させていただきました。ナノスエリアの植栽や収穫祭など、今後もブログで取り上げていく予定です。
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